東京とヨーロッパ街歩き

TokyoとBelgiumでの日々の記憶。0歳の娘を連れてはじめてのヨーロッパ暮らし。北欧雑貨や北欧のスマートな暮らしが大好き。スタアラ空マイラー。

ブリュッセル連続爆発テロのあの日。

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こんにちは。

このマーケットの写真のすぐ後にバーン!という音が聞こえ、ここにいるほとんどの人が振り返ったり、しゃがんだ人もいました。



工事現場から白い煙が上がったので工事ミス?の音のようでしたが、そこにいた誰もが昨年のあの日の事を思い出したに違いありませんでした。
私もあの日を少し振り返ってみました。


≪2016年3月22日。ブリュッセル国際空港とブリュッセルの地下鉄で連続爆発。35名死亡、負傷者200人。≫


ブリュッセル国際空港から車で20分位の我が家は、娘といつも通りの2人の朝を迎えていました。ただ、8時過ぎからサイレン音が遠くでずっと聞こえていて、毎朝起きたら着陸体制で低空飛行する飛行機に手をふるのですが、飛行機が一機も着陸して来ないのを不思議に思っていました。

前日朝にブリュッセル国際空港からドイツへ出張していた夫から10時前に電話があり、ブリュッセルでテロがあったことを知りました。

そのあとは家族や友人からLINEやメール等で『ニュース速報出たけど大丈夫?!』と心配の連絡をたくさん頂きました。

ビックリしてBBCを見ると、空港で爆発があり空港が閉鎖されたとのこと。そのあと市内の地下鉄でも爆発とのニュースがあり、爆発の画像ばかり出ていました。

ベルギーの日本人の友人に連絡すると、知らずに外出していたり、ニュースを初めて知った人も。旦那さんがブリュッセル勤務の方は電車が動かないので、帰りは社内で声を掛け合い、相乗りをさせてもらい帰ってきたそうです。

午後からは南部にある原子力発電所が次の標的にされる可能性があるため、最小限の職員を除いて全員待避するというショッキングなニュースが入りました。ニュースではヨウ素剤を国民全員に配布しているので安心して下さい。とありましたが、1歳の娘もいたので安心できず、もしもの時用に逃げる荷物を作り、とても怖かったのを覚えています。

ブリュッセル空港閉鎖とベルギー国境内への一般車輌規制で夫は帰宅できず、その夜はサイレンがまだ鳴っていたり、ヘリが深夜まで頻繁に飛んでいて不安な一夜でした。

毎晩ひっきりなしに着陸する飛行機を見ながら寝るのですが、不気味と飛んでいない空を娘と眺めていたのを覚えています。

翌日にはテロ発生を伝えるニュースは、追悼番組に替わり全体像が見えてきました。
夫は空港が当分数ヵ月は閉鎖のため、フランクフルトから電車で帰宅しました。

テロ警戒レベルは国内全土が最高の4に引き上げられたと、日本領事館からのメールが頻繁に鳴っていました。

この数ヵ月前2015年11月の130人が亡くなったパリ連続テロ事件のすぐあとも、犯人がほとんどベルギーに逃げた事を受けて、ベルギー国境やブリュッセルで掃討作戦を行い一時期レベル4に上がって以来でした。

街には軍用車輌が溢れ、大きな銃を持った軍の人たちが配備されて物々しい雰囲気でした。
いつも行くスーパーでも出入口に警備員が配備され荷物検査がありました。

ブリュッセル国際空港近くのIKEAでも、手荷物検査や警備員が多くいました。

領事館からは、暫くは人の集まる場所には行かず、外国人はテロの標的にされやすいので、目立たぬよう充分注意すること。と指示がありました。

夫はブリュッセル国際空港に車を停めていましたが、空港の全面閉鎖で取りに行けず、3週間後に車の引き渡しがホームページにアップされ、近くの駅まで電車で行き、そこからは専用バスで駐車場まで行きピックアップできました。

軍が管理していて、そこらじゅうに軍の人達がいました。2017年現在も空港には銃を持った軍の人達が警戒警備をしています。

様々な人種がいるベルギーでのテロだったので、複数の国の方が犠牲になりました。
もちろん日本人も含め、犠牲になった方の奥様が日本人の方もいらっしゃいました。幼いお子さん2人と奥様を残して.....との事で、心からのご冥福をお祈りしたいです。
夫も1日ずれていたら、時間的に遭遇していたのかと考えると他人事には思えませんでした。

あれから数年も経たないうちに、各地でテロが起こり、テロの脅威が絶えません。観光客排除の動きも大きくなってきているのが現状です。