こんにちは!
ブリュッセルの世界遺産『グランプラス』広場では
世界中からの観光客がたくさん押し寄せます。
家族連れに写真を撮ってほしいと頼まれました。どちらから来たのですか?と聞いたらベルギー国内からでした(笑)あれ。
家族はアジア系の小さな女の子と、白人の男の子、ご両親とおばあさん。
住んでいるエリアが近いとわかると、おばあさんが『この小さな孫はあなたと近い国から来たのよ』とお話してくれました。
話はそれだけだったのですが、多分アジア系のお子さんを養子にされた家庭だったのかな?
ベルギー国内では養子も多くご両親とお子さんが全く違う人種だったり。不妊治療のステップに卵子提供も普通にあるのでそちらの可能性もあるかな。
同じマンションにも養子の赤ちゃんを育てている若い夫婦がいて、娘を見ると抱っこしてくれたり。もう一人養子をもらう予定と言っていました。
きっと日本でも養子縁組はあるだろうけど、同じ人種だし見た目ではわからないだけなのかな。
でも、不妊治療のステップアップに養子の選択肢はまだまだ無いのだと感じています。
(今は実は違うのかしら...)
昨年亡くなった大好きな祖母との会話で、戦後の話を思い出します。
祖母の友人が亡くなった時に息子さんから届いた家族写真。まだ元気な時にその友人を囲んで家族やひ孫たちが走り回っている幸せな写真。
息子さんは戦災孤児で養子にもらった子だったようです。当たり前に血が繋がっている家族写真かと思ったのでビックリしていたら、
『戦後は何の契約書も無いままに子供をもらって育てたり、反対に育てられなくて知り合いに養子に出したり、そういう時代だったんだよ』
敗戦を迎えた頃の日本では国中が混乱していて、食べるものもやっとだったから色んな家族のカタチがあったそうです。
日本でも養子縁組はそこらじゅうにたくさんあった時代だったのかもしれません。
そのご友人は生涯結婚なさらず息子さんを立派に育てられました。
息子さんから、直筆で感謝の言葉がたくさん書かれていました。血の繋がりが無くても素敵な母と子の絆に感動しました。
戦後を20代で迎えた祖母から、もっとたくさん色々な話を聞きたかったです。
(祖父は戦後を30代で迎えています!😊)